安宅和人(著)『シン・ニホン』の感想【読んで納得するための寄り道と副読本】

最終更新日

-2021年2月追記-

安宅和人(著)『シン・ニホン』が
『読者が選ぶビジネス書グランプリ2021』 においてグランプリを受賞。
  • 総合グランプリ 第1位 受賞
  • 政治・経済部門 第1位 受賞

本書の機運が社会に広がっていく事自体が、ニホンの未来はまだまだ明るいというか、希望だなと感じます。私も自分にできる方法でお手伝いができれば。

  

2020年2月に刊行された安宅和人氏の『シン・ニホン』。
本書中において、コロナのことには一切触れられていませんが(執筆自体は2019年〜2020年1月と思われる )、発刊直後の世界的なコロナパンデミックにより、皮肉にも本来の意図とは違った形で、まさにウィズコロナ時代における日本の指針を示す希望の書として、その論は世に広く伝わることとなりました。

表紙を飾る日の丸も、また背表紙も、ビビッドな橙色が印象的です。一時はamazonも在庫切れ(私も発刊当初、すぐには買えず) ということで、その話題性が伺えました。

ただ一方で、

分厚いしボリューム多くて読み切れるか心配。。

¥2,400.-+税はちょっとお高いかな

難しいことが書いてあるんでしょ?ハードル高そう。

うーん確かに否定はできない、、

確かにページ数は430ページ超、データも注釈も多数、一般的に手に取り易いかというと、中々ハードルは高めな印象を持つかと思います。

だけど、どうにかこの内容、論説を広めたいのです!

今回、自分が本書を読み終えて寸分違わず納得し、著者の考えに全面賛同し、どうにかこの考えと機運を少しでも世に広めたい、という想いを持ちました。

なので、これから本書を読もうと考えている人に対して、また、もう既に読んだよという人に対して、何かプラスαの情報があればと思い、記録に残しておきたいと思います。そうしなければいけないという、半ば危機感のようなものです。
併せて、この『シン・ニホン』の内容理解、腹落ちを促進するであろう副読本や参考動画を添えて紹介したいと思います。

この記事を読むメリット
  • 記事内で紹介している動画を観た後に、本書を読めば難易度が下がります
  • 記事内で紹介している書籍を併せて読めば理解度が高まります
  • その結果、共感度、納得度、腹落ち度が増します
  • そして自分もできることから“打ち手”を出さなきゃ、と自分の中で明日への希望が生まれます

注意)本記事では『シン・ニホン』の要約はしていません

私が『シン・ニホン』を知ったきっかけ

私が『シン・ニホン』という書籍のこと、また著者である安宅氏のことを知ったきっかけは、NewsPicksの動画コンテンツWEEKLYOCHIAI(※1)がきっかけでした。

この動画の中で、落合陽一氏が、何となく師匠的に接していて、へぇすごい人なのだなと思い、試聴したことを覚えています。

※1 NewsPicksの有料プラン(月額¥1,500.-)でフル試聴できるオリジナル動画コンテンツの一つ。私も有料プランで加入していますが、はっきり言って読まない新聞に月¥5,000.-払うくらいなら、今すぐ解約してこちらに加入した方が良いです。本当に比較にならないくらい有益な情報収集ができます。
なお上記動画リンクは公式ダイジェスト版。

で、話題が『シン・ニホン』のことが中心だったのでこれはすぐに購入しようとamazonを開いたものの、在庫なし(言語化できない部分ですが、この本は紙で持っておきたいと思ったのでKindleで購入することはしませんでした)。
本当に売れているんだと思い、そのままメルカリ出品あるかなと思ったら、そちらも出品なし。参ったなと思いました。

『シン・ニホン』の概要をつかむための解説動画

結局、『シン・ニホン』を買えないままの状況が続くのですが、そうなってくるといよいよ読みたい欲、知りたい欲が強くなってきます。

そんな中、検索から辿り着いてしまったお笑い芸人オリエンタルラジオのあっちゃんによるYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学 – NAKATA UNIVERSITY」
ここで『シン・ニホン』の解説動画を試聴します。

本当にわかりやすい。驚愕の話のうまさ。
前編後編の合計60分。
1.5倍速で観たら合計40分。もちろん中田のあっちゃんのフィルターを通したものではありますが、『シン・ニホン』で何が論じられているのか、章立てて、例えや笑いも交えて、まるで本当に大学の面白い講義を聴くようにスッと自分の中に入ってきます。

もしかしたら、本を買う前にこれを観ると、もう買わなくていーやとなってしまう(既にそうなった)人も相当数いるんじゃないだろうか。

ということで、私はWEEKLYOCHIAIと中田大学の動画で、内容を大枠把握した後に、実際に本を手にしました。なので読み進めていく上でも、“ああ、確かに言ってた言ってた”という感じで、あまり難解さを感じずに読むことができました。
こういった本の読み方について、邪道だと思われる方もいるかもしれません。好き嫌いもわかれそうです。
私は定着度が増すので、難しそうだなーと読む前に感じている本(例えば最近だと「サピエンス全史」「ホモ・デウス」といった学術と教養の狭間のような書物)では事前に概要を別媒体から頭に入れるということを良く行います。(もちろん純粋にネタバレを避けたい物語ではそんなことしません)

『シン・ニホン』を読んだ感想

ここから『シン・ニホン』について私自身の感想を少し残したいと思います。

希望と絶望の入り交じった読後感

400ページ超のボリュームを時間をかけて、丁寧に読みました。
率直に私は『シン・ニホン』から全体を通して希望を感じました。
これから、いやもう現時点で時代はAI×データをどう生かしていくかなんだ、日本の弱さも強み過去から学んだ、今後必要な打ち手もわかった。日本も捨てたもんじゃない、まだまだこれからだ。
しかし同時に失望(というか絶望?)を抱いた事も事実です。
著者安宅氏が、様々な角度から様々なデータを示すと同時に、そこに対する対策や打ち手を提示していて、もはや解決策が見えているにもかかわらず、だけどそうもなりそうにない。多分日本はそう動かないんじゃないだろうか、という確信めいた不安がある。もし動き出すとしたら、ある一定の年代での社会の分断無くしては無理なんじゃないのか、という妄想が首を持ち上げます。
要するに(自分を含めた)大人が次世代に対して何も残せていない、むしろ搾取していて、今のままではそれを変える手立てや見込みがない、ということが絶望の原因でした。
だから、アクションを起こさないといけない、という部分でやはりどちらかというと希望多めです。

生き残れるかどうかはイシューではない
本書の冒頭に掲げたテーマに立ち戻る。日本に未来はないのだろうか。もちろんある。国なのでそもそも滅びてしまうことは稀だ。
存在を問う意味ではなく、「手なりでこれからもある程度以上に豊かな国でいられ続けるのか」という問いについて言えば、ほぼNOであることは答えが出ている。ここまで見てきたとおりの現状で、このまま経済的な推進力を失ってしまえば、この国はそれほど遠くない未来に半ば中進国になることが見えているからだ。
したがって、我々が本当の意味で考えるべきなのは、このような受け身の問いでなく、僕らはどのようにすれば今の子どもたちやその子どもたち、また 50年後、100年後に対して、よりまともな未来を残すことができるのか、というもっと積極的な問いだ。

『シン・ニホン』(p112)

「伸びしろ」という表現

『シン・ニホン』を読んで希望を感じる部分の一つに、安宅氏特有の「伸びしろ」という表現があります。これは特に1章、2章を読んでいて強く感じる部分。
他国との比較においてこれまで日本の一人負けという事実があっても
「日本の大半の産業はやるべきことをやっていないだけ」
「まだ着手できていない宿題がたくさんあるということ」
「多くの分野で伸びしろは巨大」
「伸びしろだらけと言って良い」

今ある差は競って負けたわけでなく”俺はまだ本気出していないだけ”とデータを示して言い聞かせてくれるのでポジティブ笑

ほかにも
「女性の伸びしろ」
「AI-ready化、ほとんどの企業がまだレベル1。伸びしろに満ちている」
と一貫して、例えば劣後している状況についても、それは未来を見据えた上での余地だと表現しているのです。

特に2章の中で、産業フェーズにおける第2フェーズ、第3フェーズは出口産業を持つ日本にとって大きなチャンスであるとし、期待を抱くことができ、ワクワクするのです。

前著『イシューからはじめよ』に通じる「3章 求められるスキルと人材」

1章・2章で現状とこれまでの日本を俯瞰して分析してきました。
3章では、それらを踏まえ、では人の観点で見た時に日本に必要なことは何か、という問いを立てます。

著者による答えは
(1)この面白い時代局面で価値を生み出せる人と場を生み出すこと、(2)多面的な人材のAl-ready化がカギ、とし、これから未来でキーになるのは普通の人とは明らかに違う「異人」だと述べています。

一点、補足しておきたいのは、「好きなことをやれ」は正しいけれど、ある意味では正しくないということだ。熱狂的にやるものは、あくまで自分らしくではあるが、他人と自分を異質化できるものであるべきだ。仕事とは、他の人に評価される価値を生むことであり、その人の存在意義の視点で見れば、価値が生み出せることは好きか嫌いかよりも遥かに大切だからだ。たとえば、ゲームが好きだからただやるのは中毒に過ぎない。造り手の作った罠にかかっただけだ。人が作った問いに対して、すでに用意されている答えを出しているだけとも言える。ひたすら探究して、自ら新しく問いを生み出せるかという視点で領域を見たほうが良いだろう。

『シン・ニホン』(p156)

安宅氏の前著『イシューからはじめよ』を読んだ方であれば、ピンとくるところかもしれません。
その仕事、アウトプット、成果は、(答えを出すに値する)価値ある問題であるかを常に念頭に置きながら思考すること。

少し話が逸れますが、上記WEEKLYOCHIAIの動画の中で落合陽一氏が、学生時代に鬼のように読んだ、大学院時代の研究室でまず読むべきバイブル、前提書だったと語っている安宅氏の前著『イシューからはじめよ』。


実は私も、『シン・ニホン』がすぐに手に入らなかったため、先に『イシューからはじめよ』を読みました。
詳細はまた別の機会にまとめられたらと思いますが『イシューからはじめよ』は落合氏が言うように、研究者にとってもまた社会人にとっても、立ち止まって何度も手にとって、自分を省みるバイブル的な本だなと感じました。

  • 良いイシューとは何か
  • その解(ゴール)に価値があるのかどうか見極めてから動いているか
  • がむしゃらに手を動かす根性に逃げていないか

自分が今まさに取り組もうとしている目の前のことに、文字通りバリューがあるかどうかをちゃんと見極めているか、というのはビジネスマンであっても研究者であっても、耳が痛く目を逸らしたくなるのではないでしょうか。

『イシューからはじめよ』はデスクのすぐ手の届くところに置いています。
アイデアが欲しくて手に取るたびに「は!今もしかして犬の道では!?」と自分の現状確認をする副次効果のおまけ付。
こちらも間違いなく人におすすめできる本です。

なお、『シン・ニホン』3章の中には”知りすぎと集めすぎ”の話(こちらも『イシューからはじめよ』でお馴染み)も出てきます。

教育に携わる人間は必読『4章「未来を創る人」をどう育てるか』

『4章「未来を創る人」をどう育てるか』は教育に携わる人、教育期間に限らず、もちろん子を持つ全ての親世代が必読だと思いました。
読んで、腹の奥まで納得して、意識を変える必要がある、という。
著者の未来へかける想いが随所に強く表現されていると感じました。

著者は国語と数学の力を再構築する必要があると述べています。
特に国語については「空気を読む国語」から「三学」に、と。

辛辣ですが正論すぎて反論のしようがない。これは現場でも特に若手の教員の方々はジレンマを抱えているのではないかと思う部分です。

ツールとしての数学、その意味合い・価値を学ぶことができると大幅に状況は改善する。ただ、現実的なことを言えば、このような方針が決定され、全面的に導入、展開されるには少なくとも5年以上の時間がかかる可能性が高い。この頁などを参考に、何とか若い人や教育関係者たちには自衛し、生き延びてもらえればと思う。
『シン・ニホン』(p223)

ここに少なからず現実的な難しさが見えていて、現在進行形で進んでいる世代への呼びかけが何とも言えない絶望を感じてしまいました。

なお、若者の皆さんには自分の持っている若さが、お金でも名声でも手に入れられないもっとも貴重な資源であることを忘れないでほしい。しかもその資源は、毎日なくなっていることを噛み締めながら、それをどう活かすかを考えて生きてほしい。
学校、仕事、また目先の研究という単一の畑から、人生で必要なもののすべてを刈り取ることはできない。時間的にも日に8時間、週5日、40時間の労働は、1週間、168時間の24%に過ぎない。残りの4分の3をどのように使うかで人生は決まる。本を読み、映画も観るべきだ。友人や恋人、家族との時間も大切だ。さらに新たな分野や土地での経験や留学など自分の深い幅を広げる試みも、若い時でないとペイしないことが多い。未来は皆さんの日々の時間の使い方の延長線上にある。
『シン・ニホン』(p227)

最後の”未来は皆さんの日々の時間の使い方の延長線上にある”の部分、著者安宅氏の焦りのようなものも感じ取りました。

私が安宅氏から感じるもう一つの魅力が以下の部分。

ちなみに「仕事とは何か?」ということを、学生だけでなく社会人も含め、これまでずいぶん多くの人に聞いてきた。
〜中略〜
実は「仕事」の定義については、社会科ではなく、中3か高1ぐらいの理科で基本的に全員が習う。そう、

仕事 = 力 × 距離
(英語では force × displacement )

だ。単なる努力、試み自体には意味がなく自己満足、浪費に過ぎない。生み出す変化がなければゼロ、完遂されない仕事は意味の持ちようがないということだ。
<〜中略〜>
なお、同じく古典力学的には「力」の大きさは「質量×加速度」で計算できる。すなわち生み出す仕事の大きさは、「どれだけ大きな存在に対して、どれだけ勢いよく、どれだけの変化(距離)を引き起こしたか」だ。現実世界における仕事の定義として考えても十分に味わい深い。
『シン・ニホン』(p229)

なるほどなーと膝を打つ、著者らしい思考と表現だなと思いました。
自分もこんなことが言えるようになりたい。

5章 未来に掛けられる国に

ここでは当たり前のことが当たり前に述べられていて、
国に金はある、問題はリソース配分。多くがシニアと過去に配られており、未来にかけられていない、ということが強い危機感とともに具体的対策(もちろん先人達への厚い敬意を持った形で)として示されています。

終始勉強になる、の一言。

また、2大ブラック職場化する官学、という表現で霞ヶ関を中心とした国家公務員の待遇についても、適切なリソース配分がなされていない現状について触れられています。これは国の背骨という部分が崩れないように早急に工夫と手立てが必要だとしていますが、すでに次世代の離職という形で問題が浮き彫りになってきています。

今の日本は、たとえて言うならば、家族のうちおじいさんやおばあさんはちゃんとしたおかず付きのご飯を普通に食べることができるが、働くお父さんやお母さんにはほんの少ししかお小遣いがなく、子どもたちにはメザシ1つ与えられていない。
『シン・ニホン』(p318)

2019年に発売された落合陽一(著)『日本進化論』の序文に、安宅氏による寄稿があるのですがその中においても同趣旨の記載がされていましたが、ここまで辛辣な記載ではありませんでした。
著者の危機感と苛立ちを少し感じた部分です。



「老人を生かさんがために、若者を犠牲にするような国に未来はない」
『シン・ニホン』(p321)

※カガノミハチ(著) 漫画『アド・アストラ −スキピオとハンニバル』からの引用



『シン・ニホン』のタイトルも然り、2章で日本の妄想力の強さを語る際にも感じ取れる、安宅氏の守備範囲の広さ。

他方で5章の中において、”国防予算””尊厳死の合法化””憲法25条の解釈”等タブー視されがちなテーマにも正面からとてもフラットな立ち位置でデータに基づき提言をされているため、素直に受け取ることができます。
もちろん賛成反対はまた別問題なのですが、ただ、安宅氏の提言をもって、ちゃんと議論が成立する気がするのです。

5章の最後には1章から5章までの総まとめとして、現状の負のサイクルと本来あるべきサイクルとをフロー図にまとめられていて、これもわかりやすい。

6章 残すに値する未来

『シン・ニホン』がウィズコロナにおける日本の指針を示すと云われた所以がまさにこの章です。

章の前半では、不確実な未来にいかに対処するか、というか未来は予測不可能であることを自認し、未来は目指すものであり、創るものである、という意識の転換を強く主張しています。
コロナなんてまさにその通り。これまでの計画なんて基盤から構築し直さなくてはならない。

中でも不確実な未来を考える上で、とても示唆に富んでいたのが以下の部分。
不確実性には4つのレベルがあり、それに対して取りうるスタンスは形成、適応、プレー権確保の3つ。
これはイニシアチブ・ポートフォリオ という著者がコンサル時代に培ったアプローチ法であり戦略姿勢なのですが、目先5〜6割、中長期2〜3割、未来1~2割と対策に濃淡つけた上でマッピングしておく、というもの。
短期・低リスクばかりに施策が寄りすぎていないかという視点を常にもっておくことは日々のビジネスにおいても、とても重要だと感じました。

かつてアラン・ケイは(Alan Kay)は「未来を予測するのに一番いい方法はそれを発明することだ(The best way to predict the future is to invent it.)」と語った。まさに先が読めない世界の未来についての対応方針の1つと言えるだろう。
なお、具体的な手を打つにあたっては、リスクが高い順に「大勝負(big bets)」に出る、シナリオを読み込んだ「オプション(options)」を仕掛ける、「後悔のない行動(no regret moves)※」をとるの3つの手があるが、これらは、いずれか1つしか選べないわけではない。no regretなことを当然やりつつも、リソースが続く限り仕掛けていくべきだ。
※何もしないよりもやったほうがいいに決まっている行動、打ち手のこと
『シン・ニホン』(pP353) 

安宅氏はとにかく「後悔のない行動」をひとつずつ積み上げてきた、そして現在のコロナ禍というタイミングで、それが世間に届いてやっと一つの機運になろうとしている、という途方もない話なのだなと思い知ります。

風の谷という希望

6章の中盤から、地球規模で未来を残すにはどうすべきか、著者の視点で大局的な持論が展開されます。
ここはSDGsについての知識が少しあればイメージがかなりし易く、理解は早いかと思います。
私もちょうど落合陽一氏によるSDGsについての著書『2030年の世界地図帳』を読んだばかりでしたので、比較的すんなりと入ってきました。

SDGsとsociety5.0の交点という考え方は、また著者ならではだなと。

そして「風の谷を創る」という構想が登場します。

(写真はイメージ)

著者の語る「風の谷」とは、文字通り宮崎駿監督によるジブリ映画『風の谷のナウシカ』において唯一人々の居住空間として描かれる、美しい集落の原風景から着想を得たと述べられています。
(対比として『ブレードランナー』的な人工過密の都市郡が提示されています)

(写真はイメージ)

このまま都市部にだけ人々が集中し郊外は捨てられて良いのか、
次世代に残す姿がこれで良いのか、
テクノロジーを使い倒すことで自然とともに生きる美しい未来を創ることができるのではないか、
これらの未来に向けた問題提起から生じたのが「風の谷」という運動論です。

コンパクトシティは、現在のところ経済的にもっとも効率的に回る「都市という答え」を(限界集落に至っていない)地方の空間や郊外に持ち込むものだ。確かに地方都市のサバイバル方法としては筋が通っている。
〜中略〜
ただ、これはあくまで地方都市をリーンに回すためのソリューションだ。「風の谷」のように美しく自然豊かな空間を生み出すことを目指すような話ではない。僕らがやろうとしているのは、コンパクトシティ領域に選ばれないような特に維持が不可能になりつつある空間を、逆に真に価値のある場にするにはどうしたらいいかを問い続ける、という運動論だ。
『シン・ニホン』(p401)

まさしくこの機運が、都市部一極集中という密を避けなければならなくなった、ウィズコロナ時代のための思想とも取れる内容であると読者層に受け入れられました。

このままのトレンドが続けば、都市型の未来しか選択肢がなくなり、都市がコモディティ化することはほぼ確実だ。スマートシティという言葉があるが、都市がスマートなのは当たり前だ。今僕らに問われているのは、むしろスマートで豊かなカントリー的空間を作れるかどうかだ。
単なる荒地でもジャングルでもなく、人が自然と融和できる豊かな空間を持てるかどうかが、大きな価値を持つ時代がきっと来る。このような土地が生まれれば、近郊の都市にとっても、また国というコミュニティ全体にとっても、大きな意味を持つはずだ。
『シン・ニホン』(p430)

執筆時点で、著者がどこまでコロナ流行の情報を耳にしていたかは定かではありませんが、結果としてここが本著『シン・ニホン』への注目を集めた部分だったことは間違いありません。

『シン・ニホン』刊行後に生まれた「Withコロナ」「開疎化」という言葉

この記事を読んでくださるみなさんは、すでに日常で幾度となく耳にするようになったであろう「Withコロナ」「開疎化」という言葉。

私が最初に聴いたのは以下のWEEKLYOCHIAIの動画。(動画はダイジェスト版です)

WEEKLYOCHIAI落合陽一「Withコロナ時代の日本再生ロードマップ」(期間限定ダイジェスト)(20200410公開) 

そして著者ご本人のブログでも、自分が生み出した言葉が世界に広がっていくことについて語られています。

「開疎化」という言葉は、『シン・ニホン』の中には登場しないにもかかわらず、本書の中で語られている思想を一言で集約するのにとても良い表現であるように感じますね。

これらの動画やブログでは『シン・ニホン』における「風の谷」構想を踏まえた内容で、ウィズコロナ時代をどう人間がサヴァイブしていくか、という部分にフォーカスされて語られています。

今となっては、ある種『シン・ニホン』真の最終章的位置付けに感じられます。

『シン・ニホン』を読み終えた流れで、これらの動画やブログを観ると、著者安宅氏の思考の流れが深く理解できますし、もしくは『シン・ニホン』を読む前にこれらを視聴すれば、後に『シン・ニホン』を読んだ際の理解の度合いがまた深く違ってくるはずです。

私のアクションを考える

最後に『シン・ニホン』を読んで私自身が起こすアクションについて記しておきたいと思います(ここからの記載は手前味噌な話になりますので読み飛ばしていただいて構いません、ここまで長文お付き合いいただきありがとうございました)。

『シン・ニホン』全体を通して、大変勉強になりました。日本の現状も、弱みも強みも理解ができました。これからの日本に何が求められるかも理解ができました。
ただ、何よりも自分が可能性というかワクワクを感じたのはやはり第6章の「風の谷」構想でした。

日本に「風の谷」を創るために、自分にも何かできることがあるんじゃないか。
私が帰省する生まれ故郷も、妻の帰省する生まれ故郷も、過疎が進む本当の自然豊かな田舎です。
また、私は小さい頃から、いろいろな土地(それもいわゆる“ど”のつく田舎ばかり)を転々として過ごしてきました。

私がこれまで生活してきたあの風景を、自分の子どもや次の世代に価値ある姿で残すために、自立した地域として成り立たせるためには何が必要かを考えることにしました。

単なる町おこしでもない、地方再生でもない。土地を存続させることを目的に置くと、手段が目的になってしまう。

後世に受け継がれていくだけの価値を備えた、条件を満たした然るべき土地だけが、必然と存続を許されるのです。

人口減少に頭を抱える自治体全てが、本書でいう「風の谷」を目指すことは無理がありますし、主旨も違います。残念ながら消滅していく田園風景も多数あるでしょう。日本においては大多数がそうなる運命だと思います。
その中でも、数はわずかかもしれませんが、ここは、という都市部に対抗し得る求心力を持つ土地が必ずあります。

土地の求心力と、その土地が自立していくためのコストの視点を持って、自分がこれまで育ち過ごしてきた地域の可能性を追求することを私のアクション、打ち手にしたいと思います。

取り留めもなく書き連ねた結果、思いのほか長文になってしまいました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
#シンニホン

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