近内悠太(著)『世界は贈与でできている』を読んだ感想/要約/書評【資本主義を前提に成立する贈与のメカニズム】

みなさん、こんにちは。
今日は近内悠太(著)『世界は贈与でできている』を読んだ感想についてご紹介します。
近内悠太(著)『世界は贈与でできている』を読んだ感想/要約/書評【資本主義を前提に成立する贈与のメカニズム】
この記事の目次
本書をざっくり紹介すると
本書冒頭において著者は、「お金で買えないものの正体」を「贈与」と呼ぶことからスタートしています。
本書における贈与とは「受け手側」が存在して初めて発生するものであり、また「受け手側」のみが気づく権利を持つものとされています。
つまり「贈与」には、受け手側に知識と想像力、優しさとも呼べるべきものが求められるのです。
現在の資本主義という言語ゲームの世界像において、「お金で買えないもの」である贈与はアノマリーとして受け手側の意識、目に留まり、この「贈与」に気づくことができた受け手のみが、新たなメッセンジャーとなり次の贈与へと繋がっていく。
著者は資本主義社会を否定せず前提とするからこそ、その「すきま」に贈与が成り立つとしています。
想像力と優しさに支えられた贈与の原理とメカニズムを、多くの参考文献や引用を交え、見事に言語化してくれている一冊です。
一読では難しい部分もありますが、何度か読むことで著者の主張している論理、構成がしっかり理解できます。
本書に書いてあること(メモ)
お金では買えないものの正体
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本書では我々が必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないもの、およびその移動を「贈与」と呼ぶ
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必要なのは贈与を正しく語る言葉
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人の進化のプロセスにおいて、自然は身体的拡張でなく社会的能力の方を優先した
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未熟な新生児、出産直後の母親のように、人間は「他者からの贈与」「他者への贈与」前提の世界
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プレゼントとして手渡された瞬間、「モノ」がモノでなくなる
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贈与とは「モノ」を「モノではないもの」へと変換させる創造的行為
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その余剰分とも呼ぶべきものを自分自身では買うことはできない
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「自分へのご褒美」という言葉の空虚さ
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贈与の 受取の拒否=関係性の拒否
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贈与にはかならず返戻が後続する=贈与の応酬
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親からの無償の愛、以前にもまた無償の愛=「前史」プレヒストリーがある
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「孫が見たい」=「私の贈与は正しく完了したのか、私のパスは正しく受け取ってもらえたのか」=子どもが他者を愛することのできる主体になって完了
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映画「ペイ・フォワード」は贈与の失敗の物語 ≒供養(sacrifice)の物語
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なぜトレバーは殺されなくてはならなかった?それは彼が贈与を受け取ることなく、贈与を開始してしまったから
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贈与は受け取ることなく開始することはできない、これは贈与の原理の一つ

「自由な社会」の正体
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「他人様に迷惑はかけられない。もう死ぬしかない」という2文をつなぐロジックの速さ、思考の飛躍=交換の論理の究極の形
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交換の論理を採用している社会、贈与を失った社会では、誰かに向かって「助けて」と乞うことが原理的にできなくなる
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何も持たない状況では誰かを頼り、誰かに助けを求めることが原理的に不可能
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「助けて」の声は甘えではない、しかし交換の論理はそれを拒否する
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誰にも頼ることのできない世界=誰からも頼りにされない世界=「自由」
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資本主義とは「金で買えないものはあってはならない」という理念、可能性を信じ切る態度のこと
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この資本主義は「自由」と相性が良い、ただし「交換し続けることができるのであれば」という条件付
贈与が「呪い」になるとき
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贈与には人と人を結びつける力があるゆえに、時として私と他者を縛り付ける力へと転化する
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贈与は時として「呪い」として機能する
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届いてしまった年賀状
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私たちはときとして、贈与を差し出す(ふりをする)ことでその相手の思考と行動をコントロールしようとする
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離脱することが困難な強いつながりの中で発生するダブルバインド=「相矛盾するメッセージによる束縛」
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贈与は、それが贈与だと知られてはいけない
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明示的に語られる贈与は呪いへと転じ、受取人の自由を奪う
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贈与であることが明らかにされてしまうと、返礼の義務を生み、見返りを求めない贈与から「交換」へと変貌する
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交換するものを持たない場合、負い目に押しつぶされ呪いにかかってしまう
贈与は不合理なものとしてあらわれる
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交換の論理だけでは十全に生きていくことができない =2章自由
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贈与も交換へ変貌し呪いとなる可能性=3章呪い
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この贈与の困難をどう解決するか=差出人が存在しない贈与
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贈与は、受取人がこの世界に出現した時に、初めて贈与となる
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思想家内田樹「贈与は『私は贈与した』という人ではなく、『私は贈与を受けた』と思った人の出現によって生成する」(『困難な成熟』、207頁)
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16時の徘徊のエピソード 、酒井穣『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』
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16時の徘徊エピソードには本書が目指す贈与論のモデルの一つが隠されている
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他者の不合理な振る舞いの中に差出人としての姿が隠されている
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我々は不合理性を通して他者からの贈与に気づくことができる
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贈与には「過剰さ」「冗長さ」が含まれている
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ある行為から合理性を差し引いた時に残るものに対して「これは私宛の贈与なのではないか」と感じる
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不合理なものだけが受取人の目に贈与として映る
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他者からの贈与は必然的に不合理なものとして現れる
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君の好きなとこに不合理な項目=一見すると欠点
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名乗らない贈与者サンタクロース
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サンタクロースという装置によって「これは親からの贈与だ」というメッセージが消去される
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子は親に対する負い目を持つ必要なく無邪気にプレゼントを受け取ることができる
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サンタクロースの本質は、見返りを求めない「純粋贈与」であることプラス子どもがサンタなんていない、と気づくまでの「時間」
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親は「いつか気づいてくれるといいな」という地点に踏みとどまる
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贈与は差出人に「届いてくれるといいな」という節度を要求する
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呪いの正体は、その節度の無さ、祈りの不在=贈与は必ず届くという信念
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贈与は差出人にとっては受け渡しが未来(完了)時制であり、 受取人にとっては受け取りが過去(完了)時制になる
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贈与はそれが贈与である限り「私は既に受け取っていたのだ」「受け取り続けていた」という気づきを必要とする
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贈与は差出人の意図によって規定されるのではなく、受取人に開かれている
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受取人において、贈与は過去にあり、しかし過去そのものは存在せず、そこには想像力が要請される
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本書の贈与論において決定的に重要な主張は「贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する」
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倫理と知性は、知性つまり受取人のポジションが先
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「私が行う贈与も他者へは届かないかもしれない」「でもいつか気づいてくれるといいな」そう悟った主体だけが贈与が他者に届く事を待ち、祈ることができる
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我々はいつも他者からの善意を見落としてしまう
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我々にできることは「届いていた手紙を読み返すこと」あるいは「届いていた手紙を読むことができる人間へと変化すること」
意味は心の中でなく言語ゲームの中にある
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16時の徘徊エピソードでこちらが採用していた言語ゲームは「徘徊」である一方、母親は「幼い息子を迎えに行く」という言語ゲームの中に存在していた
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他者のことを理解できないのは、心の内側が分からないからでなく、他者が営んでいる言語ゲームに一緒に参加できていないから
常識という「言語ゲーム」「世界像」の中でアノマリーに気づくための求心的思考
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「世界像」=言語ゲームにおける「疑うことがそもそもできない」ものの総称
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言語ゲームを成立させる前提としての知識の総体
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価格は世界からのメッセージを聴き取る知的営み、想像力のヒント
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科学的探求の文脈においても、合理性は探求を前に進める力となる
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アノマリー=(科学的)常識に照らし合わせたときうまく説明のつかないもの
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本書で「齟齬」「矛盾」「不合理性」と呼んできたものを「アノマリー」と術語化する
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言語ゲームの中に閉じ込められているからこそ、アノマリーが発生した場合、世界像が機能し、探求可能となり、新たな知識が獲得できる
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逸脱的思考と求心的思考
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逸脱的思考は常識の枠組みを疑う、求心的思考は常識を地として発生するアノマリーを説明しようとする
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アノマリーの検出には合理性という基盤、常識的知識という足場が必要
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求心的思考は「16時の徘徊」を分析する道具
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贈与の差出人は名乗ってくれないが、届いていた手紙は必ずアノマリーという痕跡を残す
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求心的思考は贈与を受け取るための能力
SF的想像力=逸脱的思考
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求心的思考/逸脱的思考、2つを合わせて「想像力」と呼ぶ
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逸脱的思考は世界像を破壊する
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世界像を たった一つでも否定してしまうと、それは必ず言語ゲームの他の箇所に波及する
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世界像を認めないというのはリスキーであり、「常識を疑え」は無理な注文
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世界像を疑うと SF になる
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『小松左京の SF セミナー』、集英社文庫、1982年

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逸脱的思考とはどのような機能を持ち、どのような力があるのか、SFは単なるエンタテインメントとしての文学形式に過ぎないのか
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逸脱的思考は根源的問いかけを持つ
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逸脱的思考は、この世界と出会い直すための想像力
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「破局が起こる前に破局を見ること」「災厄が訪れる前に災厄を経験すること」「忘れてしまっている何かを思い出させること」「忘れてしまっているものを意識化させること」 =日常性を異化させる逸脱的思考の効果
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世界像そのものを疑う逸脱的思考は、構造的に見落としてしまうものを可視化する装置
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現代に生きる我々は何かが「無い」ことには気づくことができるが、何かが「ある」ことには気づけない =SFとしての「テルマエ・ロマエ」
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世界と出会い直すことで、実は多くのものが与えられていたことに気づく
アンサング・ヒーローの存在を把握できるのは、求心的思考によって想像できる人だけ
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安定つり合い/不安定つり合いは「我々の日常」「我々を取り巻く世界」「文明」のメタファー
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この世界が安定つり合いだと思っている人は「感謝」という重要な感情を失う
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この世界は実は不安定つり合いで、ぎりぎりの均衡を保ち、かろうじて昨日と同じ今日がきているのではないか
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不安定つり合い点で静止し続けるボール、というアノマリーを合理化するために求心的思考が導く結論は「外力の存在」
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外力という支えが失われた時に何が起こるのか、そのような逸脱的思考で「世界像の破壊」を描いたのが小松左京
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SF作品による破局を読んだ後、日常の社会が機能していることに安堵し、誰に宛てたでもない感謝の念を抱くのはなぜか
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「何も起こらないこと」が一つの「達成」である、何も起こらない日常を我々は享受している、 と認識するから
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「シーシュポスの神話」この世界が無秩序で混乱に満ちた場所になるのを未然に防ぎ続ける存在、「この社会の秩序と安定を維持し続ける贈与者」 の比喩
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その功績が顕彰されない影の功労者、歌われざる英雄=アンサング・ヒーロー
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評価されることも褒められる事もなく、人知れず社会の災厄を取り除く人
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アンサング・ヒーローの存在を把握できるのは、求心的思考によって想像できる人だけ
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求心的思考はアノマリーをアノマリーだと気づく主体から始まる
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不安定つり合いの上に置かれた日常、社会、文明が安定し、つり合い、昨日と変わらない今日がやってくること自体、これ以上ない不合理でありアノマリー
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この秩序のアノマリーに気づいた主体はアンサング・ヒーローからの贈与を受け取ることができ、その返礼として、再びこの社会を見えないところで支える主体となることができる
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アンサング・ヒーローの仕事にはインセンティブとサンクションが機能しない
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アンサングヒーローにとって自身の贈与が気づかれないことが、向こう側に届いたことの何よりの証拠となる
贈与=資本主義を前提とした世界のアノマリー
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親愛の証としてのシェア、「賦」という所作
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贈与を受け取った人はメッセンジャーになる
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贈与が不合理なもの、アノマリーという形で現れるのはなぜか
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等価交換を前提とした現代社会、市場経済において、「商品ではないもの」「商品としての履歴が消去されたもの」「他社からの無償の援助」など、市場における交換を逸脱したものに気づくことができる
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贈与は市場経済の「すきま」にある
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市場経済というシステム、交換の論理という下地、この言語ゲームの全体性や整合性があるからこそ、贈与というアノマリーが見えてくる
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そのため、本書で論じた贈与は市場経済を否定せず、むしろ市場経済を必要とする
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資本主義、市場経済というシステムが贈与をアノマリーたらしめる
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市場経済を否定しない代わりに祈りと想像力が要請される
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ビジネスでも贈与の理論とメカニズムが働いている
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クルミドコーヒーの事例、「消費者的な人格」「受贈的な人格」「健全な負債感」
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贈与は「差出人」に与えられる
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贈与の受取人の存在が、差出人に生命力を与える
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与えることによって、こちらが与えられてしまう
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親は子に与えることで、与えられてもいた
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学校の教科書に科学者の苦労は書かれていない、彼らはアンサング・ヒーローだから
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その苦労は我々受取人側が知ろうとしないと見えてこない
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教養ある人=手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、その知見から世界を眺めた時、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人
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受取人の自覚から始まる贈与の結果として、宛先から逆向きに「仕事のやりがい」「生きる意味」が偶然返ってくる
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「仕事のやりがい」「生きる意味」の獲得は目的でなく結果、 目的はあくまでもパスをつなぐ使命を果たすこと
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差出人から始まる贈与でなく、受取人の想像力から始まる贈与に基礎を置く、そこからしか贈与は始まらない
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この贈与で世界の「すきま」を埋めていくことで、健全な資本主義、手触りの温かい資本主義を生きることができる
本書を読み終えての感想
ズバリ難しかった!が正直な感想です。
一度目に読んだときは、正直さっぱりだったのですが、再読した際にとてもしっくりきたので、これ良い本じゃん!と思い直しました。
超簡単に自分の言葉で表現すると、
・当たり前の日々に感謝!
・優しさ!想像力!気づける力!
・これらが失われていくといつか世界は行き詰まる!
という感じでしょうか。
優しい世界を実現するためには、世界中の人みなが、本書で書かれている受け手側に求められる素養、求心的思考/逸脱的思考などの想像力を培い、優しさを備える必要がある、というのが私が受け取ったメッセージです。
『DEATH STRANDING』の世界で他プレイヤーが橋をかけてくれる、自分の橋が誰かの役に立つ、という循環のような世界。
サンタクロースや親子関係、また「16時の徘徊」エピソードなど、何となくイメージとしてはわかっていそうで実は言語化が難しかった部分、本書ではそこに光をあて、整理し、見事に言葉で表現してくれています。
なお、本書の中盤では、受け手側に求められる素地の必要性を語るために、SF的思考、時間軸に結構なページ数が割かれます。
これらの参考文献、引用部分を、贈与のメカニズムを説明するためのパーツとして読み進めることができるかどうか、終盤でしっかりと贈与発生メカニズムの結論として思考を戻して来れるかどうかが、本書の内容を腹落ちさせるためのキーになると思います。
参考文献、引用で気になるものが多くて、そちらへも興味が波及します!

本書が哲学書なのかどうか、私には判断できませんが、本書に書いてあることを理解する前と後では、間違いなく日々の過ごし方が変わるだろうな、と感じました。
優しい世界に一歩近づきますね。
少し難解ではありますが、多くの人に触れていただきたい一冊です。
それでは。
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